わずか五千石、小さな大大名の遣り繰り算段
“名門”喜連川家を中心に学ぶ「武士の生き残り術」
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発行者による作品情報
【家光の代に「大名は1万石から」と決められた中、わずか五千石の大名が存在した。その名は下野の喜連川藩。しかも明治まで生き残ったのだ。その秘密をひもとく!】
徳川の治世の時、家光の代に「大名は石高1万石以上とする」と決められた。そんな中にあって、下野の喜連川藩はなんと五千石で大名とされ、遇されていた。なぜなのか?そもそも喜連川家は足利将軍の係累であり、古河公方の流れをくむ名血であった。大名でありながら、徳川に対しては客分の処遇を受けていたのである。さりながら、石高五千石では、藩の経済は逼迫。そのギリギリの台所を喜連川家はどのようにやりくりしていったのか。その知恵は、平成のいまにも十二分に生かすことができるものである。