ジョプリン イージー・ウィナーズ(Audio演奏付)ピアノ・ソロ ジョプリン イージー・ウィナーズ(Audio演奏付)ピアノ・ソロ

ジョプリン イージー・ウィナーズ(Audio演奏付)ピアノ・ソ‪ロ‬

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発行者による作品情報

ジョプリン:イージー・ウィナーズ(Audio演奏付)【プチプカ シリーズ】


1901年

イージー・ウィナーズ

The Easy Winners


スコット・ジョプリン

Scott Joplin

1868年11月24日~1917年4月1日


アメリカ黒人が作り上げた音楽スタイル「ラグタイム ragtime」の中で、最も知られる作曲家/ピアニスト。明治維新の年にテキサス州テキサカーナで生まれ、1917年、ニューヨークで亡くなった。

1885年から1893年にかけてはセントルイスのナイト・クラブで演奏し、90年代にはミズーリ州のセダリアでザ・クイーン・シティ・ニグロ・バンドでコルネットを吹いていた。93年には、シカゴ万博にも出演している。

当時のアメリカでは、楽曲はシート・ミュージック(楽譜)の売り買いによって世間に広まったが、ジョプリンも例外ではなく「Please Say You Will」「Picture of Your Face」など自作曲の権利を売っていた。彼にとって初めてのラグタイム曲となる「Original Rags」(1899年)も同様であった。

しかし、彼の代表作「メイプル・リーフ・ラグ Maple Leaf Rag」は印税契約という、当時の黒人としては異例の方法が取られた。そして、この契約を申し出たジョン・スターク(白人)と共同歩調を取ることによってスコット・ジョプリンは、ラグタイムの象徴となった。ちなみに「メイプル・リーフ・ラグ」(1899年)のシート・ミュージックは、発売されたその年だけで7万5千部も売れたという。

ジョプリンはその後、たくさんのラグタイム曲を出版してゆくが、彼の望みはバレーやオペラなど「格の高いジャンル」で認められることだった。このような彼の意識背景には、アメリカの黒人差別があることは言うまでもない。ジョプリンはバレー曲「The Ragtime Dance」(1902年)、オペラ「The Guest of Honor」(03年)を作るが、ことごとくが失敗におわった(「The Guest of Honor」は出版もされなかった)。

そうこうしているうちに、ラグタイムに影響され、より黒人色の強いジャズが台頭してくる。1910年頃には彼は梅毒におかされ、17年に亡くなる。ラグタイムがアメリカ最初の「自国の音楽」として欧米で持て囃されたのは19世紀末から1920年あたりだと言われているが、ジョプリンはまさにその短い時代に世に出て、そして亡くなったミュージシャンだった。


>2016年4月5日 初版


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※【プチプカ シリーズ】は、浮かぶ音符仕様で書かれた楽譜です。

ジャンル
アート/エンターテインメント
発売日
2016年
4月5日
言語
JA
日本語
ページ数
10
ページ
発行者
Rimshot Inc.
販売元
Rimshot Corp
サイズ
5.3
MB
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