ミシェル・フーコーと狂気のゆくえ 我狂う、ゆえに我あり ミシェル・フーコーと狂気のゆくえ 我狂う、ゆえに我あり

ミシェル・フーコーと狂気のゆくえ 我狂う、ゆえに我あ‪り‬

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    • リリース予定日:2025年12月10日
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発行者による作品情報

20世紀後半を代表する思想家ミシェル・フーコー(1926-84年)が残した膨大な仕事の中で、最初の大きな山が「狂気」と「精神医学」を焦点とするものだった。1961年に34歳のフーコーが世に問うた『非理性と狂気』は、のちに『狂気の歴史』と改題されて今日まで読み継がれ、『言葉と物』や『知の考古学』と並ぶ代表作の一つとなっている。ところが、「狂気」というテーマは、その後の著作活動の中で背景に退いていき、フーコー自身、かつての狂気研究の価値を小さく見積もる発言さえ残している。
このことは何を意味しているのか? 「狂気」の問題はフーコーの関心の外に追いやられたのか、それとも、どこかに姿を隠しただけなのか。本書は、迷子のようになった「狂気」という問題の行方を探ることを目的としている。
そもそも「狂気(folie)」という言葉は、病気としての精神疾患を一義的に指すわけではなく、多様な意味をもつ。にもかかわらず、多くの研究者はフーコーの言う「狂気」を精神疾患と同一視し、その著書を批判的立場からの精神医学史とみなしてきた。本書は、その前提を疑うところから出発し、以下のように展開する。
『狂気の歴史』執筆の背景とアウトラインおよび方法、出版後の社会的反響、特に反精神医学運動による聖典化。フーコーを反精神医学の代表的論客とみなす定説の批判的検証。この定説の一つの根拠となった「精神病者を鎖から解放した大博愛家フィリップ・ピネル」という神話のフーコーによる破壊の内実。中期フーコーが権力を中心課題に据える中での狂気の位置づけの変化。夢と狂気に関するデカルトのテクストのフーコーによる解釈とそれにまつわるジャック・デリダとの論争。芸能、文学、造形作品に表現された文化的表象としての狂気とそのフーコーによる理解。レーモン・ルーセルという特異な作家の作品との出会いがフーコーにもたらした衝撃。
本書は、長年にわたる臨床経験に立脚しながらフーコーにおける「狂気」の問題を徹底的に追求する稀有な試みであり、その根底には「人が狂うことにはどのような意味があるか」という根本的な問いがある。

[本書の内容]
第1章 初期フーコーと狂気の問題
第2章 反精神医学の神殿へ
第3章 フーコーはピネル神話を破壊したか
第4章 精神医学権力――コレージュ・ド・フランス講義
第5章 愚かさと狂気――『阿呆船』と『痴愚神礼讃』
第6章 フーコーはデカルトをどのように読まなかったか
第7章 想像力の世界と狂気
第8章 ルーセルの衝撃
第9章 ソクラテスとフーコー

ジャンル
ノンフィクション
配信予定日
2025年
12月10日
言語
JA
日本語
ページ数
280
ページ
発行者
講談社
販売元
Kodansha Ltd.
サイズ
7.1
MB
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