乱読のセレンディピティ
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4.5 • 13件の評価
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- ¥630
発行者による作品情報
一般に、乱読は速読である。それを粗雑な読みのように考えるのは偏見である。ゆっくり読んだのではとり逃すものを、風のように速く読むものが、案外、得るところが大きいということもあろう。乱読の効用である。本の数が少なく、貴重で手に入りにくかった時代に、精読が称揚されるのは自然で妥当である。しかし、いまは違う。本はあふれるように多いのに、読む時間が少ない。そういう状況においてこそ、乱読の価値を見出さなくてはならない。本が読まれなくなった、本ばなれがすすんでいるといわれる近年、乱読のよさに気づくこと自体が、セレンディピティであると言ってもよい。積極的な乱読は、従来の読書ではまれにしか見られなかったセレンディピティがかなり多くおこるのではないか。それが、この本の考えである。乱読によって思いがけないものを発見する能力〈セレンディピティ〉が起こることを教えてくれる。 「本は身ゼニを切って買うべし」「知識と思考」など、「知の巨人」が思考を養い人生が変わる読み方を伝授 !
カスタマーレビュー
朝型、夜型
この著者の別の本から、「物事を考えること」について興味を持ちこの本にたどり着いた。この本では「忘れること」がいかに大切な行為であるかを語っていた。現代の日本では高齢化に伴い認知症が増えているのをご存知だろうか。認知症は覚える力やそれを留めておく力が減退し、忘れる方が多くなり日常生活に支障をきたすという厄介な病気である。私の祖母に当てはめて考えてみると、祖母は認知症と診断される前から、夜更かしが好きな人であったし、朝は遅くまで寝ている。完全な夜型だった。ある時家から夜中に小火をだし、家が全焼しかけたこときから様子はおかしかった。この本を読んでから思うと、その頭の整理がうまくいっていなかったのだろう。生理的に考えれば、溜まりきった記憶の処理を半ば強制的に行ったのではないかと思う。故に祖母は認知症となったのだと思う。朝早く起きて、夜はしっかり寝る。そんな当たり前のことを気づかせてくれたのが本書である。90歳を超えてもなお、本を執筆し血液データに異常が見つからないと言う人の生活の仕方を真似しない手は無いと思う。今からでも遅くない。自身の生活の仕方を改めて見ようと思った。
創造的忘却と自分知の発見
90歳を過ぎてから書かれたとは思えないほど、理路整然として端正な外山先生の文章である。オススメにしたがって“速読”し、一気に読みおおせた。知識を得るための熟読よりも、忘却することを厭わずにあらゆるジャンルの本にアクセスして思考の回路を活性化させる読書術。個人的な経験でも、豊かな着想を得るためには有効な方法であると実感している。デジタルで本を読むようになって、紙媒体で読書していたときに比べて飛躍的に読書量が増えた気がする。この本の中でも述べられているように、創造的忘却を経て内容が消化され自分の代謝系に無理なく取り込まれた“自分知”こそが、オリジナルな思考の着火点になると思う。