蘇れ!柔道最強説
スポーツと武道の本質、他武道・格闘技との構造比較でよくわかる
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5.0 • 1件の評価
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発行者による作品情報
明治14年、嘉納治五郎によって古流柔術をもとに創始された柔道。それは、自由に技を掛け合う乱取を採用した画期的な武道だった。しかし、昭和39年の東京オリンピックで競技に採用されて以来、まずルールありきのスポーツへと変質の一途を辿る。二度目の東京オリンピックを控えた今、様々な問題点を明らかにし、新しい柔道の方向性を示す!
本書は辛口の柔道批評が出発点となっている。ところが読み進めると、改めて柔道の「面白さ」に気付くだろう。(「はじめに」より)
格闘技K-1、あの一大ムーブメント仕掛け人の一人が柔道を語る!
「タックル可否」「組み手争い」などの問題点から、復興への道が見える!!
カスタマーレビュー
柔道とは『小よく大を制す』である
柔道とは、護身術である。特徴は『柔よく剛を制す』=小よく大を制すである。護身術であるならば「組方」とともに「隔離」が当然必要となる。「隔離」の体系化は日米大戦後、当時早稲田大学の教授であった富木謙治八段までまたなければならなかった。
しかし、柔道勃興期には既に柔術や杖術に門下生を遣わせたり、招いたりして習得させていた。体系化はできなかったが、当時の先達から直接指導を受けていたのである。そうでなければ、身長160cmほどの当時の柔道家が海外に出て柔道普及のためその地の格闘技と試合をして勝利をおさめることなど不可能に近い。
五輪柔道とは柔道の一部とみなければならない。欧米の合理主義とかで体重別(重量級・中量級・軽量級の三階級)になってしまったが、それでも無差別級はしばらくは残した。しかし柔道の本質は「小よく大を制す」である。護身術なのである。新渡戸稲造が欧米に説いた、小泉八雲が欧米に紹介した柔道とは「小よく大を制す」妙なる技と精神である。
そのためには、国内の無差別の大会を増やさなければならない。そこで柔道の醍醐味を残していかなければ、本当につまらない柔道のみになり、柔道人口減少を辿るのみ。
護身術的要素を残すにはルールも最小限でなければならない。
「突きや蹴りからの投げ、抑え、締め、関節等で一本か、参ったするまで、時間の采配は審判が持って戦う」。五輪柔道とは対極だが、護身柔道も三段や四段以上からの修業、試合としてみてはどうだろうか?二段で五輪柔道(組方柔道)と護身柔道(組方+隔離柔道)を分けてもいいと思っている。
極端な意見でしたが一考に値しませんか?