逝ってしまった君へ
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4.8 • 12件の評価
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- ¥1,500
発行者による作品情報
SNS上で大反響のエッセイ、待望の書籍化。
「note」での掲載が大反響を呼んだ壮絶なノンフィクション、待望の書籍化。
2019年1月。私は、古い友人のひとりを失った。
友人は突然、自らの意思で死を選んだのだ。
彼は私の大切な友人でもあり、私のはじめての恋人でもあった__
声優・浅野真澄が体験した、大切な人の「自死」。
大切な人を失って初めてわかる、大きな悲しみと日々の「気づき」。
遺書にあった自らに向けたメッセージ、告別式、初めての「遺品整理ハイ」…そして「君」を失った悲しみの中で見つけた一つの光。
『誤解を恐れずに言ってしまうけど、君を失って、私はひとつ、大きなものを得ました。それは、自分を自分のままでいいと思える強さです』
『たった一つのものさしで自分を測ることに、意味なんてない』
『君がそこにいてくれることが、すべてでした。君の存在そのもので、私はどこまでも満ち足りた気持ちになったのです』
あまりにも突然で悲しい出来事を経た「遺された人々」のその想いを、逝ってしまった「君」への手紙の形で綴ります。
日々悲しみの中にいるあなたにこそ読んでほしい、大切な人へ向けた祈りに満ちたノンフィクション随想録。
※この作品はカラーが含まれます。
カスタマーレビュー
特にスマホの内容は素晴らしい
浅野さんの特に大事な時期の人生(現在も大事だと思うけど)に関わっていたというのが良くわかりました。
歳関係なく相手の事を知るっていうのは難しいと思います。関わりが深いといっても相手に気を許せる人っていないと思う。自分が、故人様と同じ立場だったら距離を置きたいって気持ちもわからないわけじゃない。ただ記述にあったように、好きな人でもできたのかなって気持ちもわかる。人間関係は難しい。
鬱に関しての社会全体の理解度が浸透してない感じや精神科、心療内科の投薬や通院の敷居の高さがやっぱりまだあるのかなと思いました。鬱や統合失調症などの精神疾患は誰でもなる可能性あるし、気が付いたらなってるイメージあるから風邪とかと同じだと自分は思う。
どんなに関わりたくなくても余裕なくても隣人や近所の人が亡くなって関係者が来た時「この度はご愁傷様でした」って簡単でいいからお悔やみの言葉は言うべき。人によってはキレると思う。
故人様が立派な人脈を作られた方なのだとよくわかりました。人を見る目があったと思いました。そうじゃなければ葬儀や遺品整理に友人は来ない。親族以外は葬式は行くけどあとは知らねえよさいならってパターン多いんじゃないかな。素晴らしいね。それに関ることができたっていうのもすごい。
なのでこの著書を読んだ方は故人様のように仮に亡くなった場合こんな風に死を悼んでもらえる友人がいるとか普通に葬儀にきてくれるとかいくら家族の同意があろうが遺品整理に来てもらえるとか思わない方が良いと思います。失礼な話、そういう意味では作り話ぽいなって思っちゃいました。
捉え方や考え方の違いっていうのも記述にありましたが難しいね。柔軟性は大事。