今川の桜 第三巻
整える袖
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発行者による作品情報
父の死から十年。今川館に、桜は輿で戻ってきた。
門の前に立つ母・北川殿は、あの朝と変わらぬ姿で、ただこう言った。「よう戻りました」。それだけだった。傍らに立つ若い当主に、桜は思わず「龍王丸」と呼んでしまう。もう、その名を持つ子はどこにもいない。
昔の部屋は、道具を納める間になっていた。文箱の置き場ひとつにも、京から持ち帰ったものと、今川館に置かれるものとの間で揺れる。桜のそばには、都の見え方を整える藤乃と、荷の乱れや香の強さを見逃さない新しい女房・小萩が控えるようになる。二人の異なる目が、桜の輪郭を少しずつ形づくっていく。
連歌師・宗長は、桜に「聞くこと」を教えた。歌を詠む前に、まず駿府の音を聞け、と。小さな座で、桜は父の亡くなった夜のことを口にしてしまう。座は重くなる。だが、壊れはしなかった。
今川氏親となった弟は、法度の文言を桜に見せる。「禁ずる」から始まる紙を、「守る」から始まる紙へ。姉の目は、紙の外にあるものを見ていた。
そして、都から文が届く。正親町三条家との縁組。桜は望まれているのではない、今川の使い道が望まれているのだと、桜自身が言い切る。それでも桜は言う。使われるだけでは足りない、形から始めて、中身を作る、と。
駿府の連歌会で、桜は今川館の者たちに試される。旧小鹿方の男が置いた、都に寄せすぎた一句。桜はそれを打ち落とさず、ただ場所を変えて返す。
旅立ちの朝、氏親は言う。「止めるか」。母は言う。「持って行きなさい」——答えられなかった問いも、まだ空の「顔の箱」も。
外された袖ではない。桜は、自分の手で袖を整えて、輿に乗る。
今川クロニクルは、戦国大名・今川家を、合戦の勝敗だけではなく、家をつなぐ人々の視点から描く歴史物語シリーズです。