『粛清革命──絞首台の黎明』
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Descrizione dell’editore
全体主義は、いつ、どのように姿を現すのか。
その問いが、本書の出発点になった。私の目には、平等や権利、保護といった、もともとまっすぐな意味をもつ言葉が、少しずつ一つの方向へと傾いていき、人が語り、考えるための場所を細くしていくように映っていた。多くの人が気づかぬまま、自由は後ろへ退いていった。安全や公平を掲げた約束は、やがて疑問を押しとどめ、言葉を封じる構造へと変わっていった。どの社会でも、自由を失う過程には似た筋道がある。
夜明け前のわずかな時間に、法のほころびがふっと浮かび、責任の所在が曖昧になり、為政者は内には厳しく、外には柔らかい顔を向けるようになる。人々は数字や分類として扱われ、その重さを奪われていく。私が暮らす国も、その道をたどっていた。才能ある若者が早々に国を離れたのは、その変化の気配を誰より早く感じ取ったからだろう。
行政は、守るべき人々ではなく、別の力のほうへ向かって動きはじめる。ある人生は象徴として扱われ、別の人生は統計の中へ埋もれていく。日々のささやかな場面――ふとした仕草や習慣、静かに消えていく理念――は、どんな公式声明より、その社会の姿を正確に示していた。数字が事実を押しのけはじめると、人は与えられた結論を受け入れ、問いを手放してしまう。その沈黙の隙間に、支配は形をとる。ただ自分の自由を守ろうとした結果、いまの場所に立っているにすぎない。いまの時代を分ける線は、もはや左か右かではなく、個人か、集団と国家の力か。その一点に収れんしていた。道徳の言葉が権力の道具になり、善意を掲げる集団ほど、人々の思いやりを擦り減らしていく姿を見た。自分の怒りをも疑いながら、判断を手放さないよう努めてきた。他国ではすでに、平等の名の下に作られた規範が硬直し、異なる考えを許さない枠組みへ変質していた。
私は他人の生き方に介入したいとは思わなかった。それでも、踏み入ってくる者はいた。他者の存在を認めることと、価値観を押しつけることは違う。平等を信じる自由があるなら、それを問い直す自由も守られねばならない。自らを善良だとは思わない。ただ、思考を締めつける圧力に耐えられなかっただけだ。ある日は文章を書きながら、「これはもう自分の言葉ではない」と感じ、手を止めた。世界と向き合う葛藤は、つねに自分自身との葛藤でもあった。
夜明けは、もはや新しい一日の始まりではなかった。美しい言葉が表面を覆い、目に見えない規範が最も深く食い込む時間だった。支配は大きな音を立てて到来するのではなく、誰も気に留めないところから形をなし始める。
この本は、その始まりの記録であり、
自由が薄れていく前に、一人の人間が何を守ろうとしたのか――
その問いへ向かう記録である。