ゴーギャン絵画集
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発行者による作品情報
(この絵画集について)
この絵画集には以下の通り、制作年代順に油彩画を中心に全201点の作品を収録してあります。一部の絵には、解りやすい解説をつけました。絵を楽しむことを第一に考え、あまり専門的になりすぎないように、気軽に読めるように配慮しました。
第一章、1885年までの作品
1875年 3点
1878年 2点
1879年 2点
1880年 4点
1881年 3点
1882年 3点
1883年 3点
1884年 6点
1885年 6点
計 32点
第二章、ポンタヴェン、マルティニーク島、ゴッホ
1886年 9点
1887年 8点
1888年 23点
1889年 20点
1890年 9点
計 69点
第三章、1891年以降の作品
1891年 17点
1892年 19点
1893年 8点
1894年 9点
1895年 1点
1896年 14点
1897年 5点
1898年 6点
1899年 6点
1901年 6点
1902年 7点
1903年 2点
計 100点
また以下のように個々の絵についての詳細と、重要なものには簡単な解説を付けました。
1887-1 マルティニーク島の小道
作品名(仏語) Allés et Venues, Martinique
制作年代 1887年
技法 キャンバス、油絵
寸法 72.5 × 92 cm
所蔵 Thyssen-Bornemisza Museum
(ゴーギャンについて)
ポール・ゴーギャンは、1848年すなわち二月革命が起こった年にパリで生まれました。
株式仲買の仕事をしながら、23歳ごろから絵を描きはじめました。35歳のとき、仕事を辞めて画業に専念しますが、妻子をかかえ、大変苦しい生活を送ることになります。
1886年から1890年にかけて、南仏ブルターニュ地方のポン=タヴェンに数度滞在します。この地で、ゴーギャンはベルナール、ゴッホたちと親睦を深め、色を単純化した大きな面に分割して描く、サンテティスムという絵画的技法を身につけます。
1888年10月20日、ゴーギャンはアルルのゴッホの強い勧めによりゴッホの元を訪れます。ここで、二人は新生活を始めますが、水と油ほども性格が違い、また絵に対する考え方も違う二人の共同生活は、結局「耳切事件」という悲惨な事件で幕を閉じる事になります。わずか2か月の事でした。
西洋文明に絶望したゴーギャンは、1891年4月、南太平洋のフランス領タヒチに渡ります。彼はそこで66点の絵画と数点の彫刻をしあげますが、貧困や病気に悩まされたあげく、1893年フランスに帰国しました。しかし、フランスはもはやゴーギャンの住むべきところではなく、1895年、彼は再びタヒチに渡航します。
1897年、娘アリーヌが死んだと言う知らせが届き、彼は大きな衝撃を受けます。その苦悩のさなか『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』を描いて、自殺を図りますが未遂となりました。
1901年には、さらに未開のマルキーズ諸島に渡り、1903年5月8日の朝、その地で亡くなりました。
(アートクラシックスについて)
アートクラシックスは、広く世界の古典絵画を、電子書籍という形で広めようと言うプロジェクトです。以下のような特長があります。
1、見やすいレイアウト
適切なレイアウトで、iPhoneはもちろん、iPadやMacでの鑑賞に最適化しました。また、絵画の一つ一つに索引を付けましたので、目次から直接アクセスできます。
2、解りやすく詳しい解説
解りやすく簡潔な解説をつけてあります。
3、美しい表紙
プロのデザイナーによる美しい表紙をつけました。画集と関連づけられた美しい表紙で、実際の本を読むような感覚に浸れます。
4、スピーディーな改版
紙の本と違い、誤植の修正や改訂などすぐに対応でき、刻々と進化を続けます。
5、画像ファイルはダブルタップすることで、拡大して見ることができます。さらに拡大するにはピンチインします。また横長の画像は、iPhoneやiPadでは横向きで見ることで大きく見ることができます。