人生は美しく清らかに:潔癖VS清浄
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発行者による作品情報
「きれい」の思い込みから自由になってみませんか?
自分が考える「美」は正しい──
その考えを捨て、妄想に執着することをやめれば、
心は完璧にきれいになります。
そして、これこそが解脱の境地なのです。
清らかに生きるためのお釈迦さまの智慧
「きれい」という感覚は主観的なものであり、真理ではありません。それでも私たちは各々の「美しさ」や「清潔さ」に執着し、行き過ぎた「潔癖」に陥ってしまうことさえあります。本当に清らかに生きるにはどうすればよいのでしょうか?お釈迦さまが説かれた「清浄」にその答えがあります。「きれい」の錯覚から抜け出し、清らかに生きるための智慧と具体的方法をご紹介します。
【各章の紹介】
◆第1章「きれい」と「汚い」の舞台裏
〔美・清潔の概念を問い直す〕:
「きれい」という言葉には「清潔」「美しい」の意味があります。ところが「清潔」「美しい」の概念は、人間が都合よく決めた尺度にすぎず、実際には普遍性もありません。美の追求は不幸も生みます。仏教では、美や清潔への過度の執着を戒め、心をきれいにし、煩悩をなくす方法を教えます。
◆第2章妄想という汚物
〔美しい思考で心を満たして〕
私たちはもともと精神的に汚染されており、主観というフィルターを通して情報を判別せざるをえません。その知識に執着し、理性をなくしてしまうと、貪・瞋・痴の感情が現れ、妄想のループに陥ります。そこから抜け出し、美しい世界を創造するのは、あなたの世界の創造神であるあなた自身です。
◆第3章潔癖症の正体
〔気づきにくい自我愛の暗躍〕
自我愛、肉体への執着が普通の人の何倍もある潔癖症の人は、自分は清潔で心が清らかだと思い込んでいますが、実際のところ、普通の人よりも心が汚れています。それは、「自分は完璧」、自分の認識・知識世界は正しいと妄想し執着することに原因があります。
◆第4章心の「クリーン度」をチェックする
〔ブッダの「自己観察」の薦め〕
清らかに生きるには、自己観察で悪を見つけ、その原因を取り除かなくてはなりません。その前提として、普遍性のある善悪の基準を知る必要があります。また、自己観察では、心の状態を自覚することが何より大切です。ここで、あなたの心の「クリーン度」をチェックしてみましょう。
◆第5章絶対的清浄への道
〔苦しいと感じることのない無色透明な心を磨き上げる〕
人生を美しく清らかに生きるために、仏教ではサマタ瞑想によって、汚れた思考である煩悩を善思考で止める思考の訓練を行います。さらに、完全にきれいな生き方をするには、真理を発見する智慧に挑戦する必要があります。絶対的な清浄に至れば、もう何があっても汚れることはありません。