淸貧譚 淸貧譚

淸貧‪譚‬

Descripción editorial

「淸貧譚(せいひんたん)」

太宰治(だざい おさむ、1909(明治42)年〜1948(昭和23)年)の書いた短編小説です。
清代中国、蒲松齢(ほ しょうれい、1640(崇禎13)年〜1715(康熙54)年)の短編小説集「聊斎志異(りょうさいしい)」の中の「黄英」を元に、舞台を江戸時代の日本にアレンジしました。
憎めない主人公の話になっています。

戦前の本は旧字旧仮名で、総ルビのものが多くありました。新聞も総ルビでした。
旧漢字が難しいのと、教育が追付かなかった両方によります。
ふりがなは編集者が付けており、間違いや不統一もありましたが、
誰でも難しい本を読め、読者を増やすのに大いに貢献しました。

それにならって、旧字旧仮名で総ルビ、縦書きの電子書籍にしました。
ルビの誤りには気を付けていますが、もしお気付きの際はお知らせください。
読みには揺らぎのあることもあります。

おまけで、元となった黄英の原文を付けました。人名やモチーフの同じところもあり、筋で変えたところもあり。「陶酔」は無しになったのか、気になります。

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「わかれるより他(ほか)は無(な)い。」才之助(さいのすけ)は、言葉(ことば)の行(ゆ)きがゝりから、更(さら)に〳〵立派(りつぱ)な事(こと)を言(い)はなければならなくなつて、心(こゝろ)にもないつらい宣言(せんげん)をしたのである。「淸(きよ)い者(もの)は淸(きよ)く、濁(にご)れる者(もの)は濁(にご)つたまゝで暮(くら)して行(ゆ)くより他(ほか)は無(な)い。私(わたし)には、人(ひと)にかれこれ命令(めいれい)する權利(けんり)は無(な)い。私(わたし)がこの家(いへ)を出(で)て行(い)きませう。あしたから、私(わたし)はあの庭(には)の隅(すみ)に小屋(こや)を作(つく)つて、そこで淸貧(せいひん)を樂(たの)しみながら寢起(ねお)きする事(こと)に致(いた)します。」ばかな事(こと)になつてしまつた。けれども男子(だんし)は一度(いちど)言(い)ひ出(だ)したからには、のつぴきならず、翌(あく)る朝(あさ)さつそく庭(には)の隅(すみ)に一坪(ひとつぼ)ほどの掛小屋(かけごや)を作(つく)つて、そこに引(ひ)きこもり、寒(さむ)さに震(ふる)へながら正座(せいざ)してゐた。けれども、二晚(ふたばん)そこで淸貧(せいひん)を樂(たの)しんでゐたら、どうにも寒(さむ)くて、たまらなくなつて來(き)た。
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*目次*
├淸貧譚
├付録 黃英 原文
└底本などに関する情報

GÉNERO
Ficción y literatura
PUBLICADO
2025
3 de octubre
IDIOMA
JA
Japonés
EXTENSIÓN
28
Páginas
EDITORIAL
犬井
VENDEDOR
Umemura Toshiaki
TAMAÑO
253.1
KB
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