マチュー・カソヴィッツ 映画界にもの申す
『アサシンズ』を中心に
-
- ¥2,800
-
- ¥2,800
発行者による作品情報
1995年、パリ郊外貧しいエスニック・マイノリティの若者を、スラング満載口語フランス語と白黒映像で描いた『憎しみ』は、日本を除く世界中で熱狂をもって迎えられ、マチュー・カソヴィッツは一躍時代の寵児となった。続いて発表した、殺し屋の後継者探しを題材とした『アサシンズ』日本公開時に行った取材インタヴューを全文公開。前作に続き作品内容を論評しないジャーナリズムや、リュック・ベッソンを無視し既得権益保持に汲々とする映画批評界への非難、ひいては暴力描写に寛容な日本の検閲制度の糾弾と、当時の映画界に対するカソヴィッツの怒りが対話の全編を覆っている。その上で『アサシンズ』に敢えてショッキングな暴力を盛り込んだ狙い、冷戦崩壊以降に変容した戦争の実態、若年層の貧困と、『アサシンズ』の殺し屋ヴァグネルの台詞さながらに、カソヴィッツ自身が90年代末に抱いていた危機感を吐露する。やがて娯楽映画監督を経て、『裏切りの戦場 葬られた誓い』を最後に、長編映画を監督していないカソヴィッツの哲学を窺える発言もある。(特典対象商品)
目次:
はじめに——『憎しみ』より絶望に近い物語は袋小路だったのか?
映画の出来より作った人間が注目を浴びる不満
銃の残忍さを示すために必要だった無駄な殺人の描写
職業倫理の欠如した人間は殺し屋より危険だ
世代があまりに早く、細かく分断されている
ナチズムにこだわりすぎると現代の戦争の実相を見失う
若くもない貧しい男を苦しめる消費社会の幸福像
日本は暴力描写に寛容すぎないか
インタヴューを振り返って——なぜカソヴィッツは長編作品監督をやめたのか?