



コーヒー哲学序説
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3.9 • 45件の評価
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発行者による作品情報
『コーヒー哲学序説』明治時代のは、戦前の日本の物理学者、随筆家、俳人であり吉村冬彦(大正11年から使用)、寅日子、牛頓(“ニュートン”)、藪柑子(“やぶこうじ”)の筆名でも知られる、寺田寅彦。この作品は底本の「「寺田寅彦随筆集 第四巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店」では「文学・評論」としてまとめられている。
カスタマーレビュー
リッキー?
、
コーヒー哲学序章
コーヒー飲みたい。
moshikamoshika
、
哲学?
「自分がコーヒーを飲むのは、どうもコーヒーを飲むためにコーヒーを飲むのではないように思われる。」と何を言っているのかわからんことをいいながら、世界各地で飲んだ珈琲の感想を述べ。「コーヒーの味はコーヒーによって呼び出される幻想曲の味であって、それを呼び出すためにはやはり適当な伴奏もしくは前奏が必要であるらしい。」と言い出す自分に、コーヒー中毒になっているのではないだろうかと訝しみつつ。「コーヒーの効果は官能を鋭敏にし洞察と認識を透明にする点で幾らか哲学に似ている。」と独言、「これも今しがた飲んだ一杯のコーヒーの酔いの効果であるかもしれない。」と結んでいる。失礼かとは思うが、なんだか自分も描きそうな駄文だと思う。
アナトー
、
珈琲好きはきっと読むべし。
ああ、今すぐ珈琲が飲みたくなる。