一房の葡萄 一房の葡萄

一房の葡‪萄‬

    • 4.3 • 79件の評価

発行者による作品情報

この作品は書いている、有島武郎(ありしまたけお、1878年(明治11年)3月4日-1923年(大正12年)6月9日)は、日本の小説家。この作品は底本の「赤い鳥傑作集」では「児童の 小説・物語」としてまとめられている。初出は「赤い鳥」1920(大正9)年8月。

ジャンル
小説/文学
発売日
1955年
6月25日
言語
JA
日本語
ページ数
12
ページ
発行者
Public Domain
販売元
Public Domain
サイズ
15.8
KB

カスタマーレビュー

M.Tanaka

『一房の葡萄』を読んで(大学3年時に書いた感想文)

 私がこの作品を選んだ理由のひとつは、私が今年の6月に教育実習に行って、実際に子どもたちと関わる機会があり、自分が教師になった時に、罪を犯してしまった子どもにどのように接するべきか、この作品の中には非常に教育的な指導法が示唆されていたからです。また、もうひとつの理由は私自身が小さい頃から、先生に対して恋に似たような憧れを持ちやすい子どもだったために、この主人公の少年の気持ちに共感する部分が多かったからです。
 この作品の元告文によれば、この作品は「子どもの欲念、秘密、悲しみ、喜びを子どもとともに分かち合う」ことが、主題のようです。私はこの作品は、子どものもつ普遍的な「甘え」という心理現象に着目していると思います。私は友人らを見ていて、人に素直に甘えられる子がうらやましいと思うことがよくあります。長男や長女というのは、妹や弟のために、我慢することを要求されて育つので、人に甘えるのが苦手な人間になってしまうのです。私も三姉妹の長女なのですが、有島武郎も長男で、両親から最も厳格な武士風の教育を受けていたようです。「甘え」というのは、その子の「あるがままの自分」の素直な表出だと思うのですが、それが受容されず、あるがままの自分を否定され、あまりにも厳しいしつけを受けると、「ゆがんだ甘え」に変質して、「いじける」「すねる」「ふてくされる」といったマイナス行動に至り、最悪の場合は、凶悪な少年犯罪に結びつく危険性があるのです。その例として、酒鬼薔薇聖斗も、本来芸術家肌の神経質な少年であったのに、母親が無理やり体育会系の厳しいしつけをおこなったため、小3でノイローゼになり、中学に入って、その芸術的な素質を、猟奇的な殺人として、表現してしまったのです。
 この『一房の葡萄』は、こうした昨今の凶悪な少年犯罪を未然に防ぐ手がかりとなる作品だと思います。それは、周囲があるがままの子どもを否定せずに、素直な甘えを受容することの大切さだと思います。私は友達を見ていてよく思うのですが、人に上手に甘えることができる子というのは、友人をつくるのも上手で、円満な人間関係を築くことができています。他者に対して「あるがままの自分」を素直に表出できるかどうか、他者との間に「甘え」という関係をうまく築けるかどうかは、人間関係において非常に重要な意味を持つと考えられます。この『一房の葡萄』は、ひとつの事件を契機に、主人公の内気な少年が「あるがままの自分」を表出するためのターニングポイントであったといえます。私は、この「甘え」という心理現象に特に着目して、この作品を見ていきたいと思います。
 第一章の前半部分では、少年の住む街の西欧風のモダンなイメージが、海の青を背景に美しく描かれています。「僕はよく岸に立ってその景色を見渡して、家に帰ると、覚えているだけを出来るだけ美しく絵に書いて見ようとしました。」という部分から、彼が酒鬼薔薇聖斗と同じく「直観像素質者」(観た光景を写真のように正確に記憶し、再現できる能力者)であったと考えられます。彼が、酒鬼薔薇聖斗と同じ様な運命をたどらなかったのは、やはり後に出てくる女先生のご指導がよかったのでしょう。主人公の少年は親に甘えて西洋絵の具をねだることもできない子でした。素直に自己表現できない彼は、ますます自分を押さえつけ、自分の殻に閉じこもると同時に、ジムの西洋絵の具に対する言いようのないパトスに襲われ、周囲に対する疑心暗鬼までおこすようになります。
 第二章では、はじめに「僕はかわいい顔はしていたかも知れないが体も心も弱い子でした。その上臆病者で、言いたいことも言わずにすますような質でした。」とありのままの自分を自己否定をしています。昼休みに、明るい外で元気に走り回っている子どもたちと、その輪の中に入れずに暗い教室の中で一人で絵の具に対して思い悩んでいる孤独な少年像が、色彩的にも対照的に描かれています。美しい西洋絵の具に対する恍惚とした妄想が、始業のチャイムに驚いた少年をついに盗みへと走らせてしまいます。授業を受けている最中も、盗みがばれてしまうのではと怯えている様子や、クラスメイトから咎められている時の少年の心理描写がとても臨場感をもっています。クラス内の優等生がいかにも正義感をふりかざし、内気な彼を追い詰めていくシーンはとてもいたたまれないものです。みんなから憎まれて、まるでもうこの世界のどこにも自分の居場所がなくなってしまったかのような絶望感が感じられます。そのうえ、大好きな女先生の前に犯罪者として引きずり出されるのは、彼にとっては極刑にも相当するほどの残酷なものだったにちがいありません。しかし、この時の女先生の適切な教育的対応が、彼をこの悲愴感から救い出し、彼を成長させてくれるのです。この時先生は、一斉指導ではなく、他のみんなを先に教室へ帰して、個別的な対応をとりました。「生徒達は少し物足らなそうにどやどやと下に降りていってしまいました。」からわかるように、クラスメイトたちは先生にこの少年をこっぴどく叱ってもらいたかったのでしょう。しかし先生は、罪悪感と恐怖心で怯えきっている少年を咎めることなく、追い詰めモードに入っていたクラスメイトたちから一旦切り離し、両者を落ち着かせるまで、少年をこの教官室に一時的なアジールとしてかくまってくれたのです。この時この教官室は、教室内の人間関係の固定された雰囲気から離れた別空間として、彼の心の健康を取り戻すための保健室的な役割も果たしています。先生は少年のしたことを、「悪いこと」として否定的に責めるのではなく、「いやなことだったと思っていますか。」と優しく彼の心に問いかけるのです。罪を犯した少年を否定的にとらえるのではなく、あるがままの子供の姿として受容しようとするこの先生の態度はたいへん教育的であるといえます。先生は彼に「ダメな子」のレッテルを貼るのではなく、彼の人格を尊重してくれたのです。先生は泣きじゃくる少年を見て、何も言わなくても彼が十分に反省していることがわかっていたのです。そして窓辺から一房の葡萄をもぎとって、泣きじゃくる彼の膝の上にさりげなく置いて、立ち去って行くのです。
 第三章では、先生が立ち去った後、主人公の少年が泣きつかれて眠っている間が空白の時間となっていて、教室でどのような指導が行われたのかについては全く言及されていません。ここは読者の想像力にまかされている部分です。先生の優しい笑顔に見守られて目覚めた少年が、少しはにかんで、また悲しみがこみあげてきて、不安そうにしている様子を先生はすぐに感じ取って優しく言い諭すのです。「明日はどんなことがあっても学校に来なければいけませんよ。あなたの顔を見ないと私は悲しく思いますよ。きっとですよ。」と。先生は生徒の義務として学校に来るべきだと命令しているのではなく、先生自身の個人的な感情を理由に学校に来てほしいと頼んでいるのです。ここで、先生はあるがままの少年を受容し、少年との間に共感的な「甘え」の関係を成立させているのです。少年の立場から見れば、大好きな先生から「あなたの顔を見ないと私は悲しく思いますよ。」と言われたのは非常に嬉しかったのではないでしょうか。「自分は必要とされている」という、学校における彼の存在価値を先生が与えてくれたのです。翌朝少年は、自分を責め立てるクラスには行きたくないけれど、どうしてもあの先生の優しい笑顔にもう一度会いたいというジレンマを抱えながら、学校に向かいます。もうクラス内には自分を疎外する雰囲気ができあがってしまっているのではないかという不安な面持ちで少年が校門をくぐると、意外にも昨日の状況とは全くうってかわって、あのジムの方から親切に彼の手をひいて、先生の前で和解してくれるのです。このように、クラス内での険悪なムードを解き、病的に自分の殻にこもっていた少年を、再び健康的な人間の輪の中へ戻してやることができた先生の力量はすごいと思います。一体あの空白の時間にクラスでどのような教育的指導がなされたのか、大変興味深いのですが、その部分を想像することが我々教育大生の課題ではないでしょうか。
 「僕はその時から前より少しいい子になり、少しはにかみ屋ではなくなったようです。」とあるように、彼はこの事件を契機に、他者に対して「あるがままの自分」を素直に表出できるようになったのです。こうした事件をきっかけに、少年を成長させることができるか、あるいはもう二度と立ち直れなくなってしまうかは、教師の指導力しだいです。もし、この時教師の対応が間違っていたら、この少年は二度と教室に戻ることはできなかったでしょうし、自暴自棄になって昨今のような凶悪な犯罪に走っていたかもしれません。
私は教育実習中に、遅刻した生徒が正座をさせられたり、先生から頭を叩かれたりしている光景をよく目にしたのですが、体罰を加えることで本当に生徒は心から反省できるのか疑問に思いました。他の生徒に対する見せしめのように正座をさせたり、みんなの前で頭を叩かれたりして、辱めを受けることは、反省するというよりも、逆に教師に対する反感しか生まれないのではないかと思います。力で押さえつけて規律を守らせるのではなく、罪がみつかった恥ずかしさから子どもを庇って、静かに心で学ばせた、女先生のさりげない指導は、私の理想とするものです。また、孤独な少年の心を開かせ、他者との間に素直な「甘え」という共感的関係づくりをサポートした点においても、この指導は大変評価できると思います。

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