芥川龍之介大全
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4.8 • 5件の評価
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発行者による作品情報
(この作品集について)
この「芥川龍之介大全」は以下のように工夫されています。
一、年ごとに分類・掲載
芥川龍之介の作品を一九一〇年から一九二七年までの年ごとに分類して掲載していますので、芥川龍之介の作品の進化をじっくりと感じることが出来ます。
二、年ごとの芥川龍之介の動静
その年の芥川龍之介の動静を簡潔にまとめて、年度の最初に掲載してあります。作品の中に、より一層人間芥川龍之介を感じることができます。
この作品集には、青空文庫より、各年代ごとに以下のように352篇の全作品を収めています。
一九一〇年(明治四十三年) 2作品
一九一一年(明治四十四年) 2作品
一九一四年(大正三年) 7作品
一九一五年(大正四年) 3作品
一九一六年(大正五年) 15作品
一九一七年(大正六年 22作品
一九一八年(大正七年) 20作品
一九一九年(大正八年) 19作品
一九二〇年(大正九年) 27作品
一九二一年(大正十年) 13作品
一九二二年(大正十一年) 23作品
一九二三年(大正十二年) 17作品
一九二四年(大正十三年) 31作品
一九二五年(大正十四年) 31作品
一九二六年(大正十五年 昭和元年) 27作品
一九二七年(昭和二年) 43作品
年代不詳の作品 50作品
(芥川龍之介について)
芥川龍之介は、近代日本が生んだ最大の、そして最高の短編作家です。若く から古今東西の古典を渉猟し、それらを題材としながら近代的自我を才気あふれる文章で包み込んで表現するその技術は、感嘆のほかありません。三十六歳での自殺は惜しんでも余りありますが、その才能を生かしきるには神経が繊細すぎたのでした。
芥川龍之介は、明治二十五年(一八九二年)に東京に生まれました。生後七か月で母が精神に異常を来したため、母の実家の芥川家に預けられ、伯母に養育されました。十一歳の時に母が死去し叔父の養子となり、芥川姓を名乗る事になります。
大正三年(一九一三年)、東京帝国大学英文科に進学し、そこで菊池寛や久米正雄らと同人誌「新思潮」を刊行します。大正四年に「羅生門」を発表、また翌年には「鼻」を発表し、夏目漱石に激賞されました。
大正六年(一九一七年)、第一短編集「羅生門」を、続いて第二短編集「煙草と悪魔」を刊行しました。
その後大阪毎日新聞社に入社し、創作に励み、次々に傑作を生み出しました。
大正八年(一九一九年)、親友の妹である塚本文と結婚します。
文名は急速に高まりましたが、健康状態は思わしくなく、胃潰瘍や神経衰弱など様々な病気に苦しめられるようになります。
昭和二年、義兄が放火と保険金詐欺の嫌疑をかけられて鉄道自殺をするという事件があり、龍之介は心労を重ねました。七月二十四日未明、「続西方の人」を書き上げた後、致死量の睡眠薬を飲んで自殺します。余りに若すぎる死でした。
(古典教養文庫について)
古典教養文庫は、日本のみならず広く世界の古典を、電子書籍という形で広めようと言うプロジェクトです。以下のような特長があります。
1、古典として価値あるものだけを
これまで長く残って来たもの、これから長く読み継がれていくものだけを選んで出版します。
2、読みやすいレイアウト
文章のまとまりを、適切な改ページで区切って、iPhoneやiPadやMacでの読書に最適化しました。また、作品の一編一編に索引を付けましたので、目次から直接アクセスできます。
青空文庫をベースとしている場合も、適切に処理してありますので、そのまま青空文庫の物をダウンロードして読むよりも格段に読みやすくなっています。
3、美しい表紙
プロのデザイナーによる美しい表紙をつけました。書籍と関連づけられた美しい表紙で、実際の本を読むような感覚に浸れます。
4、スピーディーな改版
紙の本と違い、誤植の修正や改訂などすぐに対応でき、刻々と進化を続けます。