智恵子抄
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4.1 • 99件の評価
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発行者による作品情報
木彫家、光雲の長男として東京に生まれ、明治から昭和にかけて活躍した彫刻家・詩人、高村光太郎の代表作とされる詩集。龍星閣から1941(昭和16)年に出版された。「人類の泉」と讃えた恋愛時代から、「東京に空が無い」と語り合った幸福な結婚生活を経て、智恵子の死後にいたる30年間にわたって書かれた、彼女に関する詩29篇、短歌6首、3篇の散文が収録されている。『智恵子抄』は稀有な恋愛詩集として、映画はもちろん、テレビドラマ、ラジオドラマ、小説、戯曲、能、オペラ、歌謡など、様々なジャンルのクリエイターによる創作のモチーフとなっている。1967(昭和42)年に中村登監督により映画化された『智恵子抄』(光太郎・丹波哲郎、智恵子・岩下志麻)は、40回アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた。
APPLE BOOKSのレビュー
人を愛する喜びと悲しみに満ちた詩集『智恵子抄』。名高い彫刻家/画家にして、詩人/歌人でもあった高村光太郎が、妻の智恵子との日々を詩と短歌、散文で描いた。当時別の婚約者がいた智恵子を懸命に引き留めるラブレターのような「人に」で始まり、魂を焦がすような愛でつながった2人の生活は、貧しくてもまぶしい光に満ちている。やがて智恵子に精神の不調が現れ、壮絶な闘病の末に別れが訪れるまで、光太郎は身を削るような言葉で愛にまつわる喜びや葛藤、諦念(ていねん)を語る。中でも、智恵子の最期を描写した「レモン哀歌」は教科書での出会いをきっかけに思春期で触れた読者も多く、広く親しまれている。千恵子亡き後に記した散文「千恵子の半生」では、私生活をつづることにためらいもあったが、「一人に極まれば万人に通ずるといふことを信じて、今日のやうな時勢の下にも敢て」筆を執ったと明かしている。日本が戦争への道をひた走っていた1940年当時の時代背景を踏まえると、その複雑な思いが一層際立って感じられる。