琴のそら音
発行者による作品情報
この作品は書いている、夏目漱石(なつめそうせき、1867年2月9日(慶応3年1月5日)-1916年(大正5年)12月9日)は、日本の小説家、評論家、英文学者。この作品は底本の「夏目漱石全集2」では「小説・物語」としてまとめられている。
カスタマーレビュー
幽霊、犬の遠吠え、泥棒。そして。
漢水は西南ではなく、東南に流れているが、作者の書き間違えか、出版社の誤植か、電子版の過誤か。
とにかく、話し言葉が面白かった。
話の筋も締め方も良い。
相馬焼が貶されているのは悲しいが、そもそも相馬焼を初めて知ったくらいだし、世界的に価値が認められているものもあるようだし、結果的には作中に出ていて良かったねと言いたい。
狩野法眼元信を調べた。少し詳しくなった。狩野松栄と狩野永徳の絵は見たことがあったけど、元信はない。父子2代の古法眼。狩野孝信は佐々成政の娘を娶り
探幽が生まれる。探幽は永徳の再来とされるも子がなく、跡目も宗家も弟に継がせ、さらに弟子の為に家を興し、江戸狩野様式を確立。狩野家、凄すぎ。
極楽水(ごくらくすい)は小石川の清泉を京都東山の安養寺の地に吉水草庵を建て浄土宗の法然上人が住み、弟子が増え、法然の師の慈円が吉水房を建て隠居していると、慈円の元で得度した親鸞が、法然の元で隠居する慈円を縁として、法然に帰依し、法然が法難で配流して吉水草庵が荒廃すると、隠居の慈円は、最澄が桓武天皇の勅命で開山した安養寺の再興をするとして、比叡山から弁財天を勧請し、安養寺の鎮守とし、法華懺法を修する道場を建て、寺の勢いが回復、慈円は吉水僧正、吉水大師と呼ばれた、ことに由来したらしい。
円山は安養寺の山号の慈円山の略。
吉水と呼ばれた小石川の清泉の辺りに吉水山伝法院が建てられると、今度は極楽水、極楽の井と呼ばれて、今は、小石川パークタワーマンション敷地内に旧跡があると言う。
日和下駄(ひよりげた)は、晴天用の下駄なのに、雨上がりの泥濘みで履いて、頭にハネがついたり。
そう言う描写や、最後の頁の描写で、預言者めいた婆婆のお陰で打ち解けていく様子が窺えて。
良い作品でした。
タイトルがなぜ琴のそら音かは、露子さんの笑い声が教えてくれるんだろう。世の一般的な若い女性が笑う時の声が。