ヴィヨンの妻
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3.8 • 505件の評価
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発行者による作品情報
1950(昭和25)年に新潮社から出版された太宰治の短編小説。妻子がありながら放蕩を続ける詩人の大谷。ある日、大谷は行きつけの小料理屋から金を奪って逃走。妻である「私」(さっちゃん)は金の用意ができるまで店を手伝うことを申し出る。逃げていた大谷が店に顔を出すようになってからも、借金を返済するため「私」は店で働き続け、いつしかそんな生活に幸せを感じるようになる。そして、ある日の朝、自分を人非人と非難する新聞記事を読みながら言い訳をする大谷に「私は人非人であってもなくてもただ生きていられればいい」と答えるのだった。作中の大谷が雑誌に書いた論文のテーマが15世紀のフランスの詩人フランソワ・ヴィヨンで、同じ放蕩詩人というところから「私」を「ヴィヨンの妻」に喩え、それがタイトルの由来になっている。
APPLE BOOKSのレビュー
太宰治が晩年の1947年に発表した代表的短編小説。甲斐性なしの夫との生活を妻の視点から描く。詩人である夫の大谷は酒を飲み歩いて家を空けてばかりいる。妻と病気がちな4歳の息子は貧しい暮らしを強いられていた。そんなある夜、夫が酔って遅くに帰宅。優しい声をかけるなど、いつもと違う夫の様子に妻は不安を覚える。すると、夫を追うかのように小料理屋を営む夫婦が訪ねてきた。夫が行きつけの店で大金を盗んだという。警察沙汰にしてほしくない妻は夫の後始末を請けあうが、実際は何の当てもない。翌日から小料理屋に通い、店の手伝いを始めるのだが…。家庭を顧みない酒飲みの詩人は、過剰に繊細で「男には、不幸だけがあるんです」とうそぶく、太宰自身をほうふつさせる厭世(えんせい)的な男だ。そんな夫と対照的に、たくましく日々を生き、やがてそこに幸福さえ見いだす妻。「生きていさえすればいいのよ」と言い放つその姿には、戦後の暗い時代を生き抜く女性のしたたかさが感じられる。悲観的なイメージの強い太宰作品の中で小気味よい読後感が味わえる一作だ。
カスタマーレビュー
なんかシュール。
幸せとはなんだのか
なんか人間らしくて
シュールな感じだけど、
共感も出来るとこもあって
面白かった。
ダークなので飽きない。
ここまでだめんずだともう異星人みたいだな
酷い話なんだけど、文体と作品の小洒落た空気感と罪悪感が欠落している男とそれを許容する女の不思議なメンタルのせいで幻想小説を読んでいるような気分になった。太宰はろくでもない男だね。怖い。
太宰初々しい
初めて読んだ。初々しい気がした。