太宰治 名作集
1万人が選んだ感動の名作集
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2.0 • 1件の評価
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発行者による作品情報
昭和を代表する作家「太宰治」の名作集。
39歳という短い生涯を終えた奇才・太宰治の本質が垣間見られる秀逸の物語16篇。
太宰治が描くありのままの人間の姿 — 優しさ、強さ、恥じらい、虚栄心、嫌悪…—
デカダンを自任しつつもナルシシズムを根底に抱え、常に悩み続け、不滅の青春文学を遺して自ら命を絶った太宰…
短篇の名手によるその文学は、現代においても幅広い年齢層の熱烈なファンが多く、太宰の生涯・作品を愛して止みません。
◆目次
・人間失格
・走れメロス
・女生徒
・ヴィヨンの妻
・斜陽
・お伽草紙(新字旧仮名)
・パンドラの匣
・桜桃
・ロマネスク
・富嶽百景(新字旧仮名)
・津軽(新字旧仮名)
・正義と微笑
・新釈諸国噺
・惜別
・風の便り
・冬の花火
◆太宰治とは
作家 小説家
本名:津島修治
青森県下有数の大地主の子に生まれた。父・源右門は衆議院議員、貴族院議員。
17歳頃、習作『最後の太閤』を書き、また同人誌を発行。作家を志望するようになる。
弘前高校時代には泉鏡花や芥川龍之介の作品に傾倒する。
同人誌『細胞文芸』を発行すると辻島衆二の名で作品発表、井伏鱒二に指導を受ける。
このころは他に小菅銀吉、または本名でも文章を書いていた。
東京帝国大学に入学し、以降井伏鱒二に師事。
1933年(昭和8年)、短編『列車』でデビューし、この作品で初めて太宰治の筆名を用いる。
処女作品集『晩年』を上梓してから入水自殺の日まで、多くの小説・随筆を書いた。
39年の生涯で5回自殺を図り、1948年(昭和23年)に玉川上水における愛人(山崎富栄)との入水心中により生命を絶つ。
二人の遺体が発見されたのは、奇しくも太宰の誕生日である6月19日のことであった。
この日は桜桃忌として知られ、三鷹の禅林寺を多くの愛好家が訪れる。
太宰治の出身地・青森県金木町でも桜桃忌の行事を行っていたが、生地金木には生誕を祝う祭りの方がふさわしいとして、生誕90周年となる1999年(平成11年)から「太宰治生誕祭」に名称を改めた。